210件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

郡山市議会 2013-06-20 06月20日-04号

障がい者雇用を別枠で実施した青木市長以来ですから、22年ぶりの取り組みということでしょうか。市議になったばかりの私が、当時、この障がい者雇用の募集で願書提出のお手伝いをさせていただいた方が、車椅子ながら市の職員となり、結婚もして母ともなって、今でも元気に市の業務に当たっておられます。大変うれしいことです。 そこで伺います。 

郡山市議会 2011-03-07 03月07日-06号

青木市長は「近代福祉都市」をスローガンに掲げました。藤森市長は「水と緑」できました。原市長は「市民の安全・安心」のスローガンを掲げました。私は、一番原市長が的を射ているのかと、そんなふうに思っております。ただ、このまちづくり市民の安全・安心に徹底的に私はこだわったほうがいい。そういう面では、水と緑、公園づくりを含めて藤森市長はかなりこだわった。やはりそれなりの大きな成果があったと思います。 

郡山市議会 2010-12-06 12月06日-02号

振り返れば、郡山周辺活性化を念願に、駅間の距離を縮めるべく新駅設置構想が提示されたのは青木市長時代平成元年3月、パーソントリップ調査においてでありました。続く藤森市政において、平成7年6月、本議会郡山南拠点整備特別委員会を設置し、新駅設置については区画整理事業とあわせて積極的に関係機関の働きかけをしていくことと要望しております。

郡山市議会 2005-06-21 06月21日-02号

本市の総合計画秀瀬市長時代を第一次とし、高橋市長時代第二次総合計画が、青木市長時代には第三次総合計画が策定されました。歴代市長はおのおの自前の総合計画を持つという事実がございます。現在の第四次総合計画基本構想目標年次は、平成21年となっており、あと5年の期間が残っております。第四次総合計画の策定に取りかかったのが平成5年でありますので、12年の歳月が経過しております。

郡山市議会 2000-03-17 03月17日-08号

その意味で当時秀瀬市長の遠大な構想高橋市長から青木市長の手によって引き継がれ、ここに四代目藤森市長の手によって事業の完成を見ようとしております。この布石をしいた秀瀬市長農業に対する執念こそ、新郡山づくりに欠かせないものがあり、農村・農業・食料に対する深い思いとともに、遠大な田園都市構想が、やがては21世紀大郡山市発展につながるものと固く信じております。 

郡山市議会 1999-02-26 02月26日-02号

最後に、昭和54年4月、郡山市議会に当選以来5期20年、高橋市長青木市長に12年間、この間はまさに波乱万丈の時代でありました。当時を思うとき、議長選出の混迷、あるいは「こんばんは」と始まった一般質問などなど、走馬灯のごとくに思い出されるものであります。 藤森市長には、平成5年4月就任以来、課題となっておりました駅西口開発を初めとし、大型プロジェクトが完成いたしております。

郡山市議会 1998-09-25 09月25日-04号

温泉も30.2度とぬるめだが、毎分160 リットル、またその近くに青木市長時代、 500メートルのボーリングを落とし、39度、毎分 260リットルのお湯が出ているのを利用できないかと聞いたが、敷地が狭く利用できなく、その計画も立ち消えになり、今日まで来てしまったわけであります。 

郡山市議会 1997-12-11 12月11日-03号

だけども、前の青木市長時代だろうと思うんだけれども、あまり手をつけなかった。それゆえに、藤森市長時代になって一生懸命格差を是正するため、一生懸命やっておることは認めるんです。しかし、前にやっていない分、今の時代に合わせてぼんぼんぼんぼん陳情が上がっている。一生懸命やっているんだけれども、やっている以上に上がってくるから、市ではやっていないんじゃないのかなと。

郡山市議会 1997-03-03 03月03日-05号

第1点、この旧村上家の建物は村上三男氏の意向もあり、平成4年9月19日、当時の青木市長に市の文化財に認定していただくための陳情をしたところ、確たる造営時期が判明せずとのことで却下された経過がございます。私たち地元の人間としては、いまだに納得できないわけでありますが、その当時の調査結果について理路整然とした説明を求めます。 

郡山市議会 1997-02-28 02月28日-04号

そしてその結果は、そごう出店に反対する勢力に支えられた青木市長が当選したのであります。それからは皆様方ご案内のとおり、60年8月に全計画見直し案青木市長議会に出してきたのでありますが、当然議会も大反対。また地権者もこれを拒否。そうしたために、4日後には自分が出してきた見直し案を撤回するというような事態に至ったのであります。

郡山市議会 1996-12-12 12月12日-03号

青木市長の意思に行政が追いつかないで、ゆえに縫い目が合わなくなってくる。よって議会質問も事欠かない。それに比べ、藤森市長になってからは、十分な検討をして適正妥当なものを提案してくるんですから、いろいろなくてこれまた当たり前です。でも、これが普通なのであります。 青木さんの8年間で財政を、人事を、大型プロジェクトを壊してしまいました。

郡山市議会 1995-12-18 12月18日-05号

私は青木市長時代に、当時、鹿野財務部長に次のような質問とご意見を申し上げたことがあります。「景気のよいときには税収増の分を財政調整基金に繰り入れるか、繰り上げ償還の財源に積み立てる必要がある。景気の悪いときには市債に依存した財政運営が地方自治体における財政運営の原則ではないか」と申し上げたことがございます。答弁は「そのとおりでありますが、現時点では見解の相違」というものでございました。

郡山市議会 1995-12-15 12月15日-04号

そもそもこの新市場については、青木市長時代に、南インターチェンジ周辺総合開発に組み込まれ、縦貫道東側からカルチャーパークまで、新市場を核に流通団地、トラックターミナル倉庫団地として開発するという青写真ができていたのにもかかわらず、何もしなかったことに起因するのであります。そこでこの点について青木市長にただすと、私はつくらなくてはならないと思っている。

郡山市議会 1994-09-19 09月19日-07号

そして、青木市長から命を受けて調査に行ったはずだ。調査の報告しているはずだよ、これはね。それが俗に言う、役所では復命書というはずだ。その復命書を前に私は前青木市長から見せてもらったことがあったけれどもさ。頭悪いから忘れちゃった。何て書いてあるか提出してもらう、コピーして。 それからですね、県が云々あったけどさ、学校法人の認可したべ。やったはずだよ、これは。認可したのだからさ。